日本人が知っておくべきフランスのリーダー、シャルル・ド・ゴール

壮絶人生、救国の元大統領シャルル・ド・ゴールとは

こんにちは!Jimmyです。

真のリーダーとは何か?

必要な資質とは何か?

これらを考える上で、歴史上の人物、偉人から学ぶことは大変有効です。

 

日本でも実に様々な歴史上のリーダーが存在します。

織田信長、坂本龍馬、山本五十六などを挙げる人が多いと思います。

今回は、日本人にはあまり馴染みがないと思われる、フランスの元大統領であるシャルル・ド・ゴールについて紹介します。

 

リーダーとは何か、有事に求められるリーダーの資質を考える上で大変参考になる人物です。

また、日本が抱える問題を考える上でも重要な示唆が得られます。

ヨーロッパに旅行やビジネスに行ったことのある人であれば、シャルル・ド・ゴールと聞くと、フランスの空港が思い浮かぶと思います。

 

フランス以外では、はっきり評価がわかれる人ですが、フランスでは、英雄的な位置付けです。

二度もフランスを救国した偉大なリーダーとして評価されています。

 

まずはドゴールの生涯を簡単に振り返ります。

 

シャルル・ド・ゴールの生涯

幼少期

1890年、フランス、リールにて誕生。

父親は教師、経済的には恵まれた家庭に育つ。

愛国者の父親の影響を受けて、「偉大なフランス」に対する想いを強くする。

幼少期から高邁な思想を掲げ、意志の強い性格だったという。

この頃から文才に長けていた。

 

軍人の道へ

1909年、サンシール陸軍学校へ入学し、軍人の道へ。

第一次世界大戦中、ドイツの捕虜となる。

5回も脱獄を試み、全て失敗に終わる。(終戦により解放)

軍人になってからも、歯に衣着せぬ物言いで、上官から疎まれることも。

第二次世界大戦前には、フランス国内に厭戦ムードが漂う中、ドイツとの国境にある防衛戦である、マジノ線の危うさを主張。

また、従来の戦争の特徴である塹壕戦を否定し、戦車、飛行機を主力とした機械化の必要性を論ずる。(電撃作戦)

いずれも、当時のフランス政府からは受け入れられなかったが、後々になってド・ゴールの主張が正しかったことが証明される。

ドイツがマジノ線を越えて攻撃、フランスは大敗を喫することとなり、

また当たり前のように、機械化された戦争が主流となった。

 

自由フランス創設

第二次世界大戦勃発、1940年に国防次官に就任する。

その年、フランスはドイツに攻め入られ大敗。

ド・ゴールは徹底抗戦を訴えるも、政府は停戦路線へ。(国民の間にもこの時は抗戦を支持する層は少なかった。)

その中で、ド・ゴールは、単独でロンドンへと拠点を移し、引き続き徹底抗戦を呼びかける。

ドイツとの停戦協定が正式に結ばれ、昔の上官であるペタンがヴィシーに政府(ドイツの傘下に等しい)を樹立するも、ド・ゴールは、自由フランス国民委員会を設立し、フランスの名誉と誇りにかけて、徹底抗戦を訴え続ける。

ヴィシー政府からは、国家反逆罪で死刑判決まで言い渡される。

職位的には、臨時少将の身分でありながら、イギリスのチャーチル首相はじめ、誰に対しても物怖じせず、時には傲慢に、フランスの立場と方針を主張。

あくまで対等な立場での交渉を貫く。

そのため、イギリスのチャーチル首相や、米ルーズベルト大統領からは、相当に嫌われていた模様。

 

救国

戦局が進むに連れ、国民の間でも抗戦論が増え始め、孤立していたド・ゴールにも支持者が徐々に増えていった。

文才を活かしたスピーチも影響し、さらに人心を掴んでいく。

英米は、自由フランスを単なる団体としてしか認めず、国家に準じた扱いを受けられなかった。

ノルマンディ上陸作戦など、肝となる作戦すら事前通知されないという扱いを受ける。

それにも屈せず、政治面の経験は浅い中、抜群の行動力と精神力で各国首脳とも対等に渡り歩く。

(あくまでフランスとして戦勝国および戦後の一等国としての地位を確保するため、自由フランス軍が貢献した実績を残す必要があった。)

アルザスロレーヌ地方でドイツ軍の猛攻にあった際、他国軍が撤退を検討している状況下、撤退を思いとどまらせ、ついには猛攻を防ぎきるなど、自由フランスがギリギリの戦いで勝利を収める。

アメリカの参戦もあり、戦局は徐々に連合国側に傾く。

占領されたパリを取り戻すに至り、そこでも自由フランス軍が躍進した。

遂には、フランスに戦勝国としての地位を確保させ、最終的には、戦後、安全保障理事会の常任理事国入りも果たす。

戦後混乱期の立て直しにおいても、アメリカからの庇護を拒否、自力での秩序の立て直しを実施。

戦後、首相に就任するも、戦前の寄り合い政党政治に戻りつつあった状況に失望し、1946年、突然辞任し、引退する。

 

アルジェリア戦争

戦後、相次いで民族自決の流れとなり、植民地は次々と独立を果たす。

その中で、アルジェリアは100年以上にわたり、フランス領となっていた地域であり、そう簡単に独立させるわけにはいかない立場のフランスでは、独立を拒否する論調も多かったため、世論も政治も混迷を極めた。

周辺国が独立を果たす中、アルジェリアでも、当然のごとく独立運動が激しさを増し、各地で暴動やテロが発生。

そしてアルジェリア戦争へと発展。

政党の寄り合い政治が横行していたフランスでは、付け焼き刃の対応で、首相が短期間で次々と生まれては倒壊、問題解決はいっこうに進まず、混乱は拡大していった。

解決に向けて、政府として断固たる態度で臨むには強力なリーダーが必要であり、それにはド・ゴールしかいないということで、独立支持者からも反対派からも、ド・ゴール待望論が各地で巻き起こった。

 

第二の救国

最終的に、アルジェリアの秩序回復の特別権限、政府に対する6ヶ月の全権委任、憲法改正の権限まで付与され、ド・ゴールが復帰した。

憲法改正にて、大統領の権限を拡大し、そして自ら大統領に立候補し、圧勝。

1959年、第五共和党の初代大統領に就任。

権限が集中したド・ゴールに全てが託される。

時代の流れから、アルジェリアの独立は止むを得ないと判断、軟化する方針を支持。

当然、強烈な反対運動が起こるも、断固として引き下がらず。

植民地は諦めたが、核開発などにより、フランスの偉大さと威厳を保つ路線を選択するなどの政策を実施。

反対派を何とかまとめ、アルジェリア戦争の停戦、独立承認を実施。

クーデターの沈静化、そして最終的な国民投票を経てアルジェリア独立が可決され、ようやく平和を取り戻すに至った。

これまでにド・ゴール暗殺未遂はおよそ30回にも及ぶという。

 

晩年

1968年の5月革命にて、ゼネストに発展した運動の鎮圧対策において強硬策を取って、事態を深刻化させるなど、判断を誤ったことを認める。

また、フラン通貨の危機(欧州為替市場の閉鎖)の局面にて、フランの引き下げを断固拒否し、フランが大量に流出する事態に発展。

北大西洋条約機構からの脱退に加え、露骨なまでの反米演説、ヨーロッパ共同体のイギリス参入の拒否など、傲慢な姿勢が以前にも増して目立つようになった。

最終的に、1969年、官僚政治の強化(議会政治の弱体化)を企図した国民投票で敗退し、大統領を辞任。

翌年1970年に死去。

シャルル・ド・ゴール

シャルルドゴールのフランスにかける強い想い

最大の功績は言うまでもなく、一時ドイツに降伏したフランスを、最終的に戦勝国まで引き上げ、安保理の常任理事国入りを果たしたことです。

つまりフランスの名誉と威信を守ったということです。

 

もし、ヴィシー政府による停戦路線をそのまま突き進み、ドイツ側についていたら、敗戦国となっていたでしょうし、戦後はアメリカの軍政が敷かれ、傀儡国家となっていた可能性もあるでしょう。

孤立無援で、しかも祖国から反逆罪で死刑判決まで宣告されながら、強いフランスのために最後まで徹底抗戦を主張した芯の強さと使命感は驚嘆せずにはいられません。

 

臨時少将でありながら、米英のトップに対して一歩も引かず交渉する、蔑まれても、格下扱いされても一歩も引かない姿勢、言うべきことはどんな相手だろうと言う、それがド・ゴールの真髄です。

 

そして、国民を惹きつけるスピーチや文章も欠かせません。

以下抗戦の呼びかけの文章を引用します。(ドゥ・ゴール、佐藤賢一著より引用)

全てのフランス人に告ぐ。

フランスは戦闘に負けた。しかし、フランスは戦争に負けたわけではない。

たまたま政権にあった政府は、パニックを避けるといい、また名誉を忘れ、この国を隷属に差し出すことで、敵に降伏できたかもしれない。しかし実は何も失われていないのだ。

一つとして失われていないというのは、この戦争は世界戦争だからだ。

自由な場所にあって、巨大な力を有する軍隊は、まだ投降していないのだ。その軍隊はいつの日か敵を粉々にするだろう。その日、フランスは勝者の側にいるに違いない。

その自由と、その偉大さも取り戻しているだろう。それが私の目的、たった一つの目的だ。

なればこそ、私は全てのフランス人に勧告する。今いるところで構わない。行動と犠牲、そして希望の名において、私の下に団結せよ。

我らが祖国は死の危険にある。救い出すため、皆で戦おうではないか。

ド・ゴールに対する評価の負の面は、独裁的であるという意見が多くあります。

自分がこれと決めたことを頑として曲げず、相手が誰であろうと主張する姿勢を批判しているのはルーズベルトであり、チャーチルです。

 

しかし、アルジェリア戦争の収集がつかなくなったとき、フランス国民は誰もがド・ゴールを求めました。

権限を集中して、独裁的になってでも、解決できるのはド・ゴールしかいないと判断しました。

 

そこまでの人物になり得た人は、長い歴史を考えてもそう多くはないでしょう。

壮絶な状況下、何年にも渡り、リーダーとしてのド・ゴールを支えたのは、並並ならぬ強い想いと、確固たる信念無しには語れないでしょう。

 

人に響く言葉、交渉力、判断力、行動力というリーダーに必要な条件をド・ゴールが備えている背景は、根底にある想いの強さに他なりません。

強い想いがなければ、このような絶望的な状況下、外交や戦略どころではなくなる、つまり能力を発揮する以前の問題でくじけてしまうでしょう。

 

補足しておくと、戦況に対する状況把握や、適切な外交能力もド・ゴールは有していました。

日本が第二次世界大戦で突き進んだような、盲目的で、非合理的な判断もありません。

勝てる見込みを把握し、勝ち方、そして戦後の局面まで見据えた上での行動であったことを付け加えます。

日本について、シャルルドゴールから考えさせられること

シャルル・ド・ゴールとフランスの歴史から、日本が得られる示唆は多くあります。

今日本が置かれている状況に対して、一定の危険性が潜んでいることを認識することができます。

有事には何が起きてもおかしくない

条約や協定の類は、破棄や解釈の変更などはいくらでもあり得ることは認識しておくべきでしょう。

置かれる状況や、周りの世界情勢により、各国の利益も刻々と変化します。

 

フランスを取り巻く英米の状況が変化し、その局面に応じて、ド・ゴールの自由フランスと、ヴィシーの臨時政府を使い分けられ、態度も声明も二転三転しています。

 

当然、各国は自国の利益のために動きます。

当時の、ド・ゴールの自由フランスは英米にとっては、自国の利益のための駒でしかなかったと言えます。

 

アメリカの軍政や、戦後の協力をあくまで拒否し、自国での秩序回復や防衛機能の強化にこだわった背景には、こうした状況次第で協定や条約などは簡単に破棄されるということを、ド・ゴールは強く意識していたのでしょう。

 

日本について考えると、いつどんな状況においても、安全保障条約において未来永劫アメリカが日本を守ってくれることを期待しすぎるのも、ある意味危険な考え方なのかもしれません。

リーダー

政党政治の弱点

フランスがそうであったように、政党の寄せ集め政権では、短命内閣が続きやすく、重要な決定が遅々として進まないことがあります。

日本でも、誕生しては消える短命内閣が続く時期がありました。

迷走した挙句、何も進展がなかったという結果は、やはり日本でもよく見られることです。

 

有事の場合、緊迫した場面で、致命的な判断の遅れや、決断力不足が露呈する可能性も否定できません。

 

アメリカのトランプ大統領や中国の習近平国家主席を見ていてもわかる通り、大国の状況は以前とは変わりつつあります。

世界情勢が大きく変化した時の日本の対応が気になるところです。

弱腰外交や、決断力不足が致命的な結果となる可能性があるということです。

 

老害の怖さ

ド・ゴールも、晩年は、精彩を欠く言動が増えました。

民意を掌握しての、独裁的行動で難局を乗り越えてきたのですが、晩年は、明らかに、「やりすぎ」と認識されるようになります。

 

慢心もあったのでしょう。

生来の傲慢さに磨きがかかり、最終的に国民投票で民意に問うたものの敗北を喫することになりました。

 

ド・ゴールのかつての上官で、ドイツに投降したヴィシー政府のペタンにも同様のことが言えます。

かつては救国の英雄としてもてはやされたペタンも、第二次世界大戦時には80歳を超える高齢でした。

ド・ゴールが主張したマジノ線の弱さにも耳を貸さず、フランスを窮地に追い込んだのでした。

 

日本でも、歴史上の決定的な場面で活躍した英雄が、その後も長く政界に残り、時代錯誤の発言をして周りを惑わす存在になる例があります。

 

日露戦争における日本海海戦での大勝利は、今でも多くの人が賞賛しているレジェンド東郷平八郎でさえ、晩年は冷静な分析能力や判断力を失い、第二次世界大戦では、簡単に艦隊派にかつがれることになってしまいました。

大戦の結果は周知の通りです。

どんなに、卓越した能力や結果を残した人であっても、名声と実績があるがゆえに老害となってしまう危険性は、私たちもよく認識しておくべきでしょう。

 

有事のリーダーに必要なこと、有事に人民が求める人

先ほども触れましたが、有事の際の、日本の対応力は不安を拭えません。

平時は、民主主義を当然のこととして国民がとらえています。

課題こそあれ、機能している状況です。

 

この体制が有事には機能しなかったのがフランスです。

アルジェリア戦争でも、方向性が定まらず、混迷が続きました。

ある意味機能不全に陥ってしまったと言ってもよいでしょう。

 

注目すべきは、国民も含めて、ド・ゴールに強い権力を集中させることを望んだということです。

 

最終的には、国民投票で民意を問う形にはなりましたが、それまでの対応については、かなり独裁色の強いものでした。

 

善悪の問題はさて置き、ヒトラーにせよ、ド・ゴールにせよ、はたまた現代で言えばトランプにせよ、強いリーダー、指導者を求める声は、有事の場面や、閉塞感のある局面で強くなる傾向があります。(時に独裁的であったとしても)

 

状況に応じて、国民の考え方や価値観も大きく変わります。

民主主義の崩壊、あるいは衰退は現実的なこととして起こり得ることを、私たちは平時から認識しておくべきではないでしょうか。

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今回はシャルル・ド・ゴールというリーダーから、有事のリーダーとしての成功の源泉、そしてフランスの例から得られる示唆について書いてきました。

日本も長く平和状態が続かないとも限りません。

そんな時に、どんなリーダーが求められるようになるのか、歴史を考えると見えてくるものがあります。

 

書籍はこちら

シャルルドゴール

 

以上、ここまで読んでいただいてありがとうございました。

 

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