これから上司・リーダーになっていく人へ
こんにちは!Jimmyです。
今回は、尊敬できない上司が勘違いしている「厳しい指導」について書いていきます。
これから、部下ができる人、リーダーになっていく人へ伝えたいことは、
愛のムチには器量が必要であるということです。
職位が上がった、後輩ができたからといって、自分が偉くなるわけでも能力が上がるわけでもありません。
尊敬できない上司は、得てしてこの器量が足りません。
厳しい言葉を投げかける、答えを教えないで突き放す、大量の業務を命じる、細かいところまで高い水準を要求する。
これらのことは、時には素晴らしい指導となり、時にはただの怠慢やパワハラとなり得ます。
部下を成長へと導く愛のムチは、誰にでも扱えるようなものではないということを先に強調しておきます。
今、会社や組織で働いている人であれば、多くの上司や先輩、リーダーと接してきたことでしょう。
苦しかった時を振り返って、
「厳しい指導があったから今があります、感謝しています」と思える経験は貴重な経験です。
しかし、そんな経験はどれほどあるでしょうか。
多くは、理不尽なだけで、不満だけが残るという結果になっていないでしょうか。
厳しい指導の多くが愛のムチになっておらず、無意味であることがわかります。
むしろ、変な伝統と勘違いの連鎖を断ち切らなければなりません。
本当に優れた器量のある上司と、その他の上司には決定的な器量の差、思いの差があります。
上司になった時に、厳しく指導するのであれば、この器量を持てるようになることを念頭に置いておく必要があります。
それを理解していないと、簡単に、尊敬できない上司の仲間入りをすることになります。
リーダーが一番辛いことを尊敬できない上司は理解していない
リーダー(上司)に必要な「器量」とは何か、様々な解釈はあると思いますが、私がよく思い出すのは、
元経団連の会長で、IHIや東芝でも会長を務められた土光敏夫さんの言葉です。
幹部はえらい人ではなく、つらい人である。
役職が上がるほど権限は強くなりますが、その権限を振り回すことを土光さんはよしとしていません。
そうなれば、残るのは大きな責任のみで、幹部とは割りに合わない仕事であると仰っているわけです。
そんなつらい状況を、自らに課し続けることで人格形成がなされ、人間は成長できるとも仰っています。
大きな責任とは、社会的な責任もさることながら、従業員とその家族への責任です。
土光さんは石川島芝浦タービン(当時)の社長をされているとき、同社の再建に苦労されましたが、
その時は、「従業員とその家族を一人たりとも飢えさせてはいけない」という強い思いで資金確保に自らあたっていたそうです。
そのようなリーダーだからこそ、厳しい指導があっても従業員たちは、自然と「オヤジ、オヤジ」と言って集まり、ついてくるようになったのでしょう。
リーダーとはつらいものであること、部下に対して責任を負っていること。
それを実践してこそ厳しい指導も実を結び、部下を引っ張っていけるということを多くの上司が理解していません。
上司は部下よりもつらい立場にあり、部下に対して責任を全うする姿勢がなければ、
厳しい指導は自分よがりになることを覚えておくべきです。
指導の中には自己中心的な感情が混ざることを忘るべからず
そもそも注意しなければならないことがあります。
指導するといっても人間ですから、自己中心的な感情が混ざることも時にはあります。
よほどの人格者でもない限り、常に相手のことを考えて指導することは不可能です。
分類してみます。
いずれも100%ではありませんが、自分目線の方は、感情が強く出ていることが多い事項です。
自己中心的な考えのもとで厳しくあたっているということです。
分類をよく見れば、相手目線に立っていれば、それほど強く言う必要のないものばかりであることに気づくはずです。
強いて言えば、恐怖心や緊張感を与えることで、部下を動かすということも考えられますが、そこから得られる効果は大きくありません。
動かされる、やらされる仕事に、創造性や意欲などは生まれないからです。
尊敬できない上司は、淡々と丁寧を心がけるべし
話を尊敬できない上司に戻します。
これまで見てきた内容から、尊敬できない上司の特徴は、リーダーとしての本来の立ち位置を理解しておらず、自己中心的な理由で厳しくしているということがわかったと思います。
冒頭に書いたように、愛のムチは誰にでも扱えるものではありません。
厳しい指導が部下のためになるということは、一部の器量のある上司に限ります。
部下の成長を思いやり、厳しくするのは高度な段階にあって、器量のない人がやるべきことではありません。
自分のことばかり考えていている人、楽をしたい人、自分が怒られたくない人には、愛のムチなど扱えません。
先ほど示したように、指導の多くは、淡々とやれば事足りることばかりです。
いくつもの試練を乗り越えた勇者しか「ロトのつるぎ」は装備できません。
上司になったばかりの人、後輩ができたばかりの人は、まずは丁寧に、もしくは淡々と教えてあげればいいのです。
厳しい指導(愛のムチ)は、それができてからの選択肢です。
自分の器量を棚にあげている人が大変多いのが現状です。
部下のためを思って敢えて厳しくしていると言う人に、
「では、やろうと思えば丁寧に淡々と言ってあげることはできたのですか?そうしたことはありますか?」と聞いてみたいものです。
そのような意識すら持ったことがない人も少なくないでしょう。
時々は思い出すことがあっても、ほとんどは、自分の都合だけで考えているのではないかと思います。
ご自身の周りを見渡せば、よくわかるはずです。
これから上司・先輩になるにあたって、まず心がけることは、淡々と丁寧に、わかるように伝えることです。
親や師匠に頭が上がらない理由
親や「師匠」と呼ばれる人は、子供や弟子に対して大きな責任を持ち、そこから逃げずに向き合います。
むしろ、逃げようという気持ちなど、よぎったこともないでしょう。
本気で子供や弟子のことを考えているからです。
もしかしたら自分のこと以上に大切に考えているかもしれません。
そんな人には、頭が上がりません。
親も師匠も、時には(もしくは頻繁に)感情的にものを言うこともあれば、間違ったことを言うときもあるでしょう。
それでも子供や弟子は、感謝をしなくなることはありません。
無償の愛と思いやりを、ひしひしと感じているからです。
どれだけ大切にされているかを知っているからです。
さすがに親や師匠とまではいかなくても、思いやりを感じ、大切にされていると感じれば、多少の理不尽など長期的に見ればなんでもないと思えるものです。
先ほどの土光敏夫さんの例もまさに、社員に対する責任と思いやりからきた行動です。
人は、人の思いに感動し、動かされます。
制度や役職、威圧によった場合、本当の意味で人を動かすことはできません。
厳しい指導が免罪符化されている現状と繰り返される悲劇
尊敬されない上司に多いパターンがあります。
それは、自分も昔、理不尽に厳しくされてきた経験があるということです。
当時は、おかしいと思っていても、時間は人の記憶を風化させます。
そして、いざ自分が上司の立場に立ったとき、自分もそうして成長してきたのだからという気持ちになります。
自分もそうされてきた、周りもそうだった、他の上司も、今もそうしている。
このような環境にいることで、むやみに厳しくする自分よがりな行為が正当化され、「免罪符」のように扱われてしまっているのが今の企業の現状です。
そこには部下への明確な思いも、強い責任感も、倫理規範すらありません。
器量のない人に育てられた人が、同じようにまた間違った指導をするという連鎖が出来上がっています。
よく考えてみればわかる話ですが、厳しくされたから成長できたというのは直接的な因果関係はありません。
普通に言われていれば、難なくできたことがほとんどでしょう。
むしろ、圧力をかけられない方が、もっと議論が活発にでき、創造的に、意欲的に行動できたはずではないでしょうか。
現在、多くの組織で、精神疾患を患う人が後を絶たず、パワハラなどの問題も無くならず、人の意欲も効率性も下がりきっているケースがこれだけ多いのが何よりの証拠です。
器量のある人(真のリーダーシップを持っている人)の下で育った人が、それを受継げばこのような問題はずっと少なくなっているはずです。
外資の残酷さの方がまだマシという人も増えている
最近の日本企業のパワハラや勘違いが甚だしい上下関係を見ていると、残酷と言われる外資企業の方がまだマシだと思えることがあります。
外資企業は実力主義で、人材の扱いもドラスチックな場合が多くあります(米国などの場合)。
外資企業で働く人から話を聞くと、わからなければ自分で何とかして調べるしかない、誰も教えてくれないという環境のようです。
能力がないと判断されれば、すぐに降格となり、プロジェクトから外されることも珍しくないようです。
給料も、成果が出ていないと評価されれば、歴然たる差が出ます。
日系企業のように激しい叱責は無い代わりに、できなければあっさりと見捨てられてしまうという怖さがあります。
では実際の、今の日本企業の多くはどうでしょうか。
厳しい叱責や理不尽な言われ方に耐え、しかも、上司がリーダーシップを発揮してくれる人ではないという状況です。
能力を存分に発揮でき、創造性を促すような環境にはありません。
ドラスチックと言われる外資の方が、まだ労働環境がよいのではと思えてくるのは、若干悲しいものがあります。
ただ、今の日本企業の疲弊ぶりを見ていると、そう感じる人も少なくないのではないでしょうか。
間違った厳しさを持った、尊敬できない上司が多い結果です。
リーダーシップを持った真のリーダーが少ないことは以前から指摘されていますが、まさに日本企業の弱点と言わざるをえません。
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リーダーシップと対極にあるのは官僚主義
日本の大企業を全て見ているわけではないため断言はできませんが、
日本を代表する大企業の多くは官僚的な組織であると思います。
尊敬できない上司がたくさんいる理由は、まさに日本は官僚主義的な組織が多いからです。
リーダーシップの対極にあるのが官僚主義です。
官僚主義の特徴を簡単に表すと次のようになります。
大切にすること= 権威、階層、規則、無難
嫌いなこと= 革新、変化、異例、属人的な対応
リーダーシップとは個人の信念や人格がそのまま出るものです。
まさに、官僚主義とは真逆の性質と言えます。
今いる組織が官僚主義的であれば、リーダーシップを発揮するリーダーが多いことは望めません。
官僚主義的な組織では、上司が尊敬できるかどうかは重要ではなく、階層、命令系統、規定された職能がどうであるかが重要です。
人についていく組織ではなく、権威とルールについていく組織にいては、尊敬する上司が少なくなるのは当然のことだと考えられます。
尊敬できる上司のもとで働くことを願うのであれば、もしくは自分がリーダーシップを発揮して組織を引っ張る人間になりたいのであれば、官僚的な組織から抜け出すことが先決です。
感謝するなら、反面教師と成長の機会に感謝
人間とは弱い生き物です。
同調圧力に屈しやすいと言えます。
そして辛い経験は時間とともに風化されていきます。
その結果、自分が辛かったこと、おかしいと疑わなかったこと、自分に部下ができたら絶対にしないと誓っていたことを、平気で繰り返してしまいます。
「部下が育つためには厳しくする必要がある」というその言葉だけを金科玉条として、
自分の器量も省みず、部下を苦しめることになります。
人に感謝できない人間はダメだとよく言われます。
そのため、当時理不尽で厳しかった上司に感謝しようという思いになるのですが、その思いは勇気を持って捨てる必要があります。
自分の境遇を嘆いたり、人のせいにすることはよくありません。
自分の成長も阻害します。
しかし、尊敬できない、よくないことをした上司に対して、よくしてくれたと感謝するのは間違いです。
感謝すべきは、機会です。
反面教師として学ばせてもらった、これを生かして間違いを自分ではしないという思いを持って、その機会に対して感謝することをお勧めします。
このような機会を与えてくれたのを神様、仏様、お天道様と考えて、そういった存在に感謝するという考え方でもよいかと思います。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
尊敬できない上司の、勘違いした厳しい指導は、自分よがりのものであることが多く、それを間違いであるとはっきりと認識する必要があります。
パワハラに悩み、精神疾患を患ってしまう人が少なくならないのは、尊敬できない上司が間違った指導をしていることが大きな原因です。
愛のムチを扱える、つまり効果的に使える人は、器量のある真のリーダーシップを持った人だけです。
上司になったから偉くなるわけでも、能力が上がるわけでもありません。
そして、日本を代表する企業の多くに見られる官僚主義的な組織では、残念ながらリーダーシップを持った、尊敬できる上司が育つことはあまり期待できません。
リーダーシップと官僚主義は対極にあるからです。
これから上司やリーダーになっていく人は、愛のムチを使える器量を育てることに注目していただきたいと思います。
そのようなリーダーが増えていくことが、日本にとってもプラスになります。
以下に、リーダーシップに関連するおすすめの記事を用意していますので興味のある方は是非ご覧ください。
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