こんにちは!Jimmyです。
最近立て続けに、自分に自信が持てないという相談があったので、このことをテーマにします。
特に、仕事において、自分には能力や経験が足りないのではないかと考えている人が多いようです。
周りにいる人や、その道の成功者と比べてしまい、自信を持てずにいるということです。
ところで、自信に溢れている人は、自信を持てない人よりも高い能力を持っているでしょうか?
おそらく、その傾向はあるでしょう。
自信を持っているということは、それなりの結果や実績があることが多いからです。
しかし、その差は決して大きくないということも、よくあります。
自信を持ってよいかの基準が、社会的地位や所得水準によっていることも気になります。
今回は、自分に自信がないという人に向けてメッセージを送ります。
自信が持てなくなる構造的な理由と、実態の世界、そして持つべき考え方を示します。
わずかな差で区切られる世界
世の中、何に対しても順位、序列をつけられます。
テストでもスポーツでも、会社の営業成績でもそうです。
その中のどこかで区切って、合否、優劣、勝敗などを明確につけられます。
1点の差でも、当落線上にあれば、それだけで片方は天国、もう一方は地獄にもなりかねません。
学生の時の差などは一瞬でひっくり返る程度のもの
学生の頃の数学や国語の試験の差が、学歴として残っていくのですが、子供の頃の数年間の努力の差などは、
大人になってからいくらでも取り返せるものです。
元々差などはほとんどないところを、無理やり試験でふるいにかけたに過ぎません。
しかし、学歴社会というのはいまだに健在で、学歴が、そのまま収入格差、社会的地位の格差に繋がる社会でもあります。
(中には本当に顕著な実力をもって、顕著な結果を出す人もいますが、そのような人は少数派です)
実際、高学歴で大きな企業に勤めているような人は、わずかな差でしかないのに、社会的地位を確保し、根拠のない自信を持っているケースが少なくありません。
必要以上に、受験で人生が決まる、最初の就職先が大事であるという情報が流れているせいもあるでしょう。
(学習塾などは、そう言うに決まっています)
学歴社会などは、確かに不条理な現実だとは思いますが、諦めたらそこでおしまいというのも事実。
むしろ、社会に出てから、強い意欲を持ち続けた人の能力は、一瞬で高学歴組を越えていきます。
学歴社会は、依然しぶとく残っている印象ですが、流れとしては衰退していくはずです。
終身雇用と年功序列が成り立たなくなっているからです。
受験や就活でうまくいかずに自信をなくしている人は、わずかな差で自信を失うのはもったいない、そして早過ぎるということを認識するべきでしょう。
後半でも書きますが、社会に出て、社内調整能力以外、ほとんど成長せずに過ごす受験・就活勝者も少なくありません。
会社組織をスポーツと同じように考えない!
自分の実力が全て、スポーツは実力勝負のシビアな世界であると言われます。
運の要素もゼロではないと思いますが、客観的にもわかりやすく、真に実力のある人が生き残る社会と言えるでしょう。
どれほど稽古をしても、ひたむきさを評価されても、土俵の上で負けてしまえば、力士は関取にはなれません。
どんなに愛想がよく、先輩に可愛がられていても、バッターボックスでは自分以外に打つ人はいません。
これが本当の実力社会。
一方、会社組織などでも、成績によって評価が大きくわかれたりしますが、スポーツほどわかりやすく公平な競争ではないことも確かです。
はっきり言って、能力に関係ないところで勝負がついたりすることも多くあります。
評価の差が、即実力の差であると解釈する必要はありません。
安打やホームランの数が増えていたり、エラーがなくなっていたり。
あまり目立たなかった人が、「沢村賞※」のようなこともあり得るのが現実です。
(※ プロ野球で、その年に活躍した投手に送られる賞の一つ)
スポーツの世界と私たちが就職する会社では、成績の土台と前提が全く異なります。
会社での立ち位置、評価の差が、実力の差そのものであると思う必要はないということです。
もちろん、注意されたことや、不足したスキルを真摯に反省することは大切です。
それでも、会社の評価を100%真に受けるのは、あまりお勧めできません。
称賛は集中するもの
一般人にはほとんど知られていない科学者が、ノーベル賞を取った瞬間、大きく注目されるケースを私たちは毎年のように目にします。
直木賞や芥川賞を取った作家の本もまた、大きく注目されるでしょう。
ただ、ノーベル賞や直木賞を取る前後で科学者や作家本人には大きな変化はありません。
もっと言えば、他の受賞できなかった人たちと雲泥の差があるわけではありません。
称賛が称賛を呼び、実態以上に注目される仕組みは、個々の組織でも同じです。
能力の差ではなく熱意の差
事実、多くの成功者は、自分は能力が高かったわけではないと分析しています。
あったのは、諦めない姿勢であったり情熱であったり、信念であったり。
謙遜はあっても、わざわざ、自分の能力は高い方ではないと言う必要もないため、正直な感覚なのだろうと思います。
正解もなく、方向性も様々ですが、誰にでも持ち得るものであるところが魅力です。
誰もが、自分の道を認識でき、そこに決意、覚悟が加わることで、思い切った行動に繋がります。
その行動の繰り返しが、やがて自信になるのではないかと思います。
権威と組織で動く世界
「組織の上層部にいるような人は、能力も魅力も人並外れたものを兼ね備えているのだろう」
「かなり遠い存在に感じる」
学生時代、私はこのように想像していましたが、この時点で社会的地位や収入などを基準に考えていたことがわかります。
銀行員を12年ほど経験しましたが、社会的地位が高くなれば、能力も高くなるとは限らないことを確認しました。
自分自身に危機感を感じたことでもあります。
エリートはいなかった!
私などよりは、知識も豊富で、頭のキレる人は多くいましたが、それよりも印象に残っているのは、
社内調整能力、社内政治力、自己防衛能力の高さでした。
このあたりが、組織で生きていく鍵なのだとわかりました。
特にすごいスキルを持っているわけでも、誰もが知らない情報を持っているわけでも、正義感が強いわけでもありません。
ただ、そんな能力は能力と言えるかも若干怪しいところです。
だから、多くの人が、会社から離れずにしがみつくか、似たような組織を探すしかないわけです。
そのような人たちが、「自分は優秀だ、完璧な仕事だ」などと自画自賛しているのです。
私自身、組織の外に出て、改めてこれらの能力が、組織特有のもので役に立たないことを痛感したのでした。
大きな組織や有名な組織で活躍しているような人でも、その組織特有の文化の中でしか生きられないという人も少なくないということです。
スキルというより、慣れや勤続年数の問題であることが多いでしょう。
実際に、自信を失う必要などないという場面が大変多いからこそ、この視点は必要です。
組織としての威力
1ディールで数千万円、場合によっては数億円を1人で稼いだかのように話す人がいます。
それを聞かされた人は、素直にすごいと思うかもしれませんが、組織にいて1人でできることなどは、本当に限られています。
そもそも、会社の看板を使わなければ、何もできないということがスタートとしてあるわけです。
扱う金額のインパクトで、すごいと感じてしまう人もいるかもしれませんが、それは会社の規模によるものであって、個人の差とは関係ありません。
敢えて金額をもってすごいとみなすのであれば、それだけの金額を払える相手組織がすごいと言えるでしょう。
権限と機会の不平等に圧倒されていないか?
上司や先輩の能力の高さに圧倒されてしまうという人がいますが、
多くの場合、その原因は権限と機会の不平等によるものです。
報告するにも意見をするにも、下手なことを言えません。
評価される立場であるため、基本的には慎重に言葉を選ぶでしょう。
発言次第では相手を怒らせたり、面倒な作業が降ってきたりする可能性もあります。
一方、上司や先輩は、言葉を選ぶ必要はありません。
リラックスして話します。
当然流暢に話せるでしょうし、次から次へと言葉も出てきます。
それを理解すれば、根本的な能力の差ではないことがわかります。
立場が逆転すれば、(やろうと思えば)相手をいなすことなど簡単なはずです。
実態以上に、上司や先輩を、能力の高い人と考え、自分と差があると考えている可能性を認識することが大切です。
給料や待遇を基準に自信を持つべきかを考えない!
これまでの例からもわかるとおり、人は給料や社会的地位、会社のブランドなどをよりどころに、自信を持ってよいのか左右される傾向があります。
自信があるように見える人ほど、これらの要素を満たしていることが多いと言えます。
そして、これらの要素を持っていない人は、自信を持てない傾向にあります。
給料や待遇が自分の能力を完璧に反映しているわけではないことは、これまで示したとおりです。
給料や待遇、社会的な地位も必要ですが、これだけを基準に比べたり、能力の優劣を判断したりする必要はありません。
むしろ、給料や社会的地位と関係ないところで、どう振る舞えるかという基準で見て、自信を深める基準にするべきでしょう。
なぜ、敢えてこのことに触れるかというと、給料・役職による価値基準では幸福感を持った人生にならないからです。
言わずもがな、人は自分や家族の幸せを求めて生きています。
人によって生きる目標は様々ですが、幸せを求めることに関しては同じです。
しかし、自分の自信の根源が、社会的地位や給料などにあれば、幸せな人生としての地盤は揺らぎます。
今、キレる老人が急増している背景は、これと無関係ではないと思います。
それだけに頼って生きてきた、自信の源がそこしかなければ当然不安になり、自分を肯定できなくなります。
些細なことで怒りやすくなるでしょう。
幸福感などあるはずはありません。
まとめ
仕事で、自分に自信が持てないということは、意識しているかどうかは別として、他者と自分を比べることで起こります。
インパクトの大きな仕事をしているような人、人気企業で働いているような人、給料の高い職に就いているような人、成功を収めた人、自分より高い学歴を持っている人。
感じ方は人それぞれですが、これらの要素を考慮して怯んでしまうケースが多いでしょう。
しかし、実際には、自分で思っているほど、差は大きくないケースもよくあります。
少しの差を、とんでもない大きな差であるかのように見せるのが世の中の仕組みです。
資本主義社会の仕組みと言ってよいかもしれません。
周りを見渡せば、すごい金額を動かしている人、社会的地位を確立している人、知名度のある人などすごいと思える人はたくさんいます。
一方で、自分との差を雲泥の差と感じる必要もありません。
さらに、社会的地位や所得水準を基準に、自信を持ってよいか判断すること自体、やめるべきです。
幸福感のある人生を送ることを考えるなら、いつかなくなる、会社の肩書きや収入面での信用力にいつまでもしがみつくのは危険です。
なくなったときに、自信の源泉がなくなり、不安になり、キレる老人まっしぐらです。
実際以上に、開きがあるように見える世界であることを認識した上で、目を向けるべきことは、
能力の差よりも、信念の差、熱意の差が開いているということです。
成功している人の多くは、自分の能力を高いと思っていませんが、情熱や信念だけは強く持っていることを話しています。
自信の源泉はここにあるということを、多くの事例が示しているように思います。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
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