会社の仕事が苦しいシンプルな理由・営業編

斜陽産業における営業の限界

こんにちは!Jimmyです。

会社で営業部署に所属している人、営業経験のある人なら、営業現場の厳しさや辛さを身にしみて感じているのではないでしょうか。

今回は、今営業の仕事が苦しい理由について書いていきます。

 

パイの奪い合いと削り合い

一部の業界や企業、地域を除いて、今の時代、営業をするというのは大変厳しい環境にあると言えます。

経済成長もほとんどなく(ときにはマイナス成長)、企業も家計も支出を抑えようと財布のヒモを固くしている状態です。

 

需要増加も見込まれない中、会社は中長期経営計画で必ず成長戦略を描きます。

 

それに従って、計数目標が営業部署に降ってくるわけですが、経済が伸びない中、成長を前提とした目標数値を達成するのは容易なことではありません。

市場が飽和状態にある業界ではもはや、パイの奪い合いだけに注力することになります。

斜陽産業では、パイ自体が年々減っている状態、需要がなくなっていく過程にあります。

 

業界も成熟しており、プレイヤーもあまり変化がないのであれば、企業の名前や商品、サービス内容も業界内ではある程度認知されていますので、はっきり言って営業する必要性も薄れている状態です。

 

そんな中で、少しでも差別化しようと、付帯サービスを充実させたり、営業トークを工夫したり、ときには情に訴えたりと、あの手この手を使ってパイの奪い合いをしています。

 

最終的には、価格勝負に落ち着くことが多く、競合同士の削り合いが頻発するようになります。

それだけならよいのですが、中には、犯罪すれすれの行為、非道徳的な手法が用いられるケースも少なくありません。

そんな状態で営業に携わっていると、はっきり言って不毛な苦労をすることが多くなります。

 

絶対的な利益目線と曖昧な評価軸

多くの日本企業の営業部隊は、高度経済成長期にうまくいった手法をそのまま受け継いでいることがよくあります。

多少のマイナーチェンジはあるにせよ、基本的な構造は変わっていません。

 

市場が伸びていて、顧客もどんどん増えていく環境下と、パイが減っていく環境下では、全くやるべきことが異なるはずですが、営業部隊を散りばめて、威勢良く出陣させる形態には変化がないのです。

 

営業部署という組織にとっての唯一の評価軸は計数による成果です。

つまりどれだけ利益に貢献したかということです。

 

当然、現在のような環境では、利益を伸ばしていくことは簡単なことではありません。

斜陽産業になると、そんな中でも工夫をして、利益を伸ばしていく努力が求められます。

斜陽産業

他の評価軸も、申し訳程度に設定している場合もありますが、基本的には営業部署としては数字が全てと言われます。

他と同じような商品、サービスのため、これといった武器もなく営業していくのは大変です。

 

厳しい環境の中で、工夫して、努力して、根性で乗り切るということで得られるものもあるかもしれません。

そんな営業に関する武勇伝を持っている人はたくさんいます。

 

しかし、私自身、営業に携わる中で、初めの数年はただがむしゃらに数字を追い求めた経験がありますが、最終的な満足度、達成感は想像していたよりも、圧倒的に小さいものでした。

 

会社のために、あるいは部署のために、利益を求めるだけの営業は、自分にとって良い結果をもたらしませんでした。

 

企業は基本的に利益を上げることは前提条件のようなものです。

一方では外向きに「社会的責任」などとうたっていながら営業部署にはとにかくより多くの利益を求めます。

 

そんな中で、良心の呵責に苦しむという経験もしましたし、正直に、こんなことをやっていて世の中に貢献しているのだろうかという思いが日に日に増していたことを覚えています。

 

さらに、部署全体としては数字が全てではあるものの、個人的な評価となると、その評価軸は実に曖昧です。

明確な評価軸が無い場合が多く、数字のプレッシャーに加え、いかに上司の意向や趣向に合った言動ができるかということも気をつける必要があります。

これも、ストレスが溜まっていく大きな原因です。

利益偏重主義と資本主義に翻弄

利益を上げる部署や人が評価され、重宝されるのは基本的にどこの会社でも同じです。

資本主義社会である以上、会社は成長を求められます。

株主価値の最大化を求められるからです。

 

そのため利益をとにかく最大化し、成長を続けることに執着します。

これは資本主義の宿命であり、立場の弱い労働者が搾取されるという構図は変わっていないどころか、年々ひどくなっている気配です。

 

格差も広がり、強者と弱者の違いが鮮明になっています。

道徳的な感覚よりも、いかに利益を上げるか、効率よく動くか、上手に立ち回れるかという価値が重要視されています。(もちろん外向きな社会的責任というお化粧も忘れません。)

 

利益第一主義に走って営業をしてきた結果、人はどうなっていくのでしょうか。

過去の営業成績や武勇伝を自慢げに話す人もいます、そして昔の苦労を美徳として語る人も少なくありません。

 

一方で、利益だけを求めるやり方に疑問を持ち、自分がやってきたことに後悔する人もいます。

私が所属していた金融業界の話ですが、出世して、非常に狭き門である役員クラスにまで上り詰めた人が、退職後仏門に入るという事例を何度か聞いています。

 

利益第一主義を掲げて、ひたすら利益のためにひた走ることをよしとしてきた人が行き着く心境を察することができるような気がします。

自分のこれまでの行いに対して救いを求めたい気持ちなのではないでしょうか。

利益だけを求めて動いていると、必ず、道徳心との間で葛藤が生じる場面に出くわします。

 

会社のため、自分のやるべきことは利益を上げること、きれいごとを言っていては生きていけないと結論づけて、非道徳的なことをしている人、良心の呵責に蓋をし続けて感覚が麻痺してしまう人がいかに多いことか、

そしてそれに後悔を覚えたときには、取り返せない時間が経っており、何かにすがりつくように救いを求めるというケースはこれからも増えていく気がしてなりません。

 

そのような事例や、最近増えている所謂「キレる老人」を見聞するにつけて、日頃からの基本的な善行、「お天道様が見ているよ」と昔から聞かされてきたことの大切さを感じます。

 

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仕事 苦しい

ドラッカーの指摘と実際の企業活動

ピーター・ドラッカーの著書は、多くの企業が、研修に取り入れています。

聞いたことがある人も多いと思いますが、ドラッカーは著書の中で、利益についてこのように述べています。

 

事業体とは何かを問われるとたいていの企業人は利益を得るための組織と答える。

たいていの経済学者も同じように答える。

この答えは間違えだけではない、的外れである。

経済活動はそれ自体が目的ではない。

非経済的な目的、すなわち人間的な目的や社会的な目的のための手段である。

 

つまり、利益は手段であり、それ自体が目的ではないこと、経済活動の目的は、人間的なものであるということを指摘しています。

 

利益自体を目的にしてしまうと、既にいくつもの事例からもわかる通り、個人、企業レベルでの犯罪や不正を招きます。

 

もちろん、ドラッカー自身、利益を不要と言っているのではなく、利益を上げることは「条件」だとしています。

会社を継続する以上は利益がないと続きませんので、利益を上げることは必要、しかし、あくまで手段であって、経済活動の目的そのものであってはならないということです。

 

この考え方に賛同しているからこそ、多くの企業でドラッカーの本を指定図書として社員に読ませたり、研修で取り扱ったりするはずです。

どの企業のHPやアニュアルレポートを見ても、利益第一主義を宣言している会社は一つもありません。

 

社会にどのように貢献するのか、もしくはお客様のためにといったスタンスを表明していることがほとんどです。

経営理念やビジョン、ミッションなどを見ると必ず、それに類することが書いてあります。

 

しかし、現場では浸透していないどころか、とにかく利益を上げることだけに集中していることが非常に多いように見受けられます。

 

日本を代表するような大企業が、組織ぐるみで不正を働いたり、行政処分を受けたりする事例は枚挙にいとまがないほど毎年のように出てきています。

 

素晴らしいミッション、ビジョンや経営理念を掲げていながら、現場の社員たちには全く浸透していないケースもよくあります。

そんな現場で働いていると、やっていることに疑問を感じることや、虚しさを感じることがあっても不思議ではありません。

 

よくないのは、そんな環境で長く働いているうちに、これが正解なのだ、これが現実社会で、理想とは別の世界があるのだという考えに至ることです。

組織に属する多くの人たちがこのような思考になると、変えていくことは困難です。

間違った価値の押し付けが横行して、やがて衰退の方向に向かいます。

 

不正発覚や行政処分をきっかけに方向転換できるような資力のある企業ばかりではありません。

苦しんだ挙句に、会社も傾き、自分自身も、もっと苦しい状況に追いやられるのは御免被りたい状況です。

 

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これまで述べてきたように、利益を第一の目的に考える営業は間違っています。

しかし、現在の時代と経済環境のもとでは、多くの組織で成長が見込めず、斜陽産業となっているのが現状であり、生き残りをかけた利益争奪戦が各地で繰り広げられています。

 

中には、追い込まれた結果、利益のためには、犯罪行為さえしなければ、あとは何をしてもよいという考えに近い組織もあるほどです。

 

もし、属している組織が利益第一主義に走っており、良心の呵責に苦しんでいるのであれば、勇気を持って行動を改めるべきでしょう。

重要なのは、自分で、あるべき自分像、目標とする自分像を見失わないことです。

会社に自分の人生をすべて預けるという考え方は捨てた方が良いでしょう。

 

辛抱、我慢の大切さを否定するつもりはありません。

大変大事です。

しかし、辛抱我慢が花開くのは、正しい考え方に基づき正しい方向に向かって辛抱我慢をした場合に限ります。

 

正しい考え方とは、難しいものではありません。

昔から言われている通り、「お天道様が見ている」という感覚を持って考えていれば、そうそう間違えるものではないと思います。

 

この観点から間違った行動をしていると思えば、少しずつでも改めるべきです。

放っておくと、人生が矛盾します。

自分では正しい人生だったと思いたいに決まっていますから、何らかの解釈を加えて自分を正当化しますが、

必ず自分の心のどこかで引っかかるものが出てくるはずです。

 

そのような危険性を認識した上で、なりたい自分像、実現させたいことを思い描き、毎日を生きていくことが必要なのではないでしょうか。

 

以上、ここまで読んでいただいてありがとうございました。

 

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