こんにちは!Jimmyです。
今回は、生き方を考える回として、内村鑑三の『代表的日本人』に名を連ねる5人の人物を題材にします。
価値観が多様化している現在、根底に置くべき考え方を、当時、西洋社会に紹介された日本人像から考えます。
『代表的日本人』とは?
内村鑑三が西洋へ発信したかったこと
近代化に舵を切った明治時代、欧米に日本人の精神性を知らしめるために、内村鑑三が英文で書いた著作です。
内村鑑三は、キリスト教思想家であり文学者でもあります。
『代表的日本人』の他にも、『余は如何にして基督信徒となりし乎』、『後世への最大遺物』などの著書が有名です。
今回題材となる、『代表的日本人』では、内村鑑三により、5人の日本人が選ばれ紹介されています。
西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮です。
世界に発信すべき、日本人の考え方、日本人論と言ってよいでしょう。
この5人を見れば、主張したいことは明らかです。
日本人は、他国を侵略したり、野蛮な文化が根付いていたりする民族ではないというメッセージでもあるはずです。
西洋に発信する内容である一方、今でも通じる、リーダーの要諦、生き方、大切な考え方として、日本人にも学ばれています。
それぞれ、政治家、封建領主、農民、儒学者、宗教家といった立場になりますが、人徳の高さは共通するところです。
以下、5人の人物像について、ポイントを簡単に示します。
西郷隆盛(1828-1877)
人徳者として知られる西郷隆盛。
5人の中でも、知名度は最も高いのではないかと思います。
明治維新の立役者であり、江戸城の無血開城を成功させた功績などがよく知られています。
(ここでは、出来事よりも、西郷隆盛という人物像に焦点を当てます)
無私、利他、大義、公正、正義。
西郷隆盛の人格を語る上では、これらの言葉がよく使われます。
これらは、敬天愛人という思想によるものと考えられます。
天を敬い、人を愛する。
天は、自分も他人も、同じように愛する。
天と同じような心を持って、自分を愛するように人を愛するという考え方です。
汚職を許さず、賄賂を受け取り私腹を肥やす役人を告発。
権力を手にしても、質素を貫き、人に施すという無私無欲の行動。
損得ではなく、正義(民のための政治)にもとづき行動できる信念。
内村は、明治政府の政治家の中にも、このような精神を持った人がいるということをまず第一に示したかったのかもしれません。
今でも、多くの人を惹き付ける存在として、学ばれ続ける人物です。
上杉鷹山(1751-1822)
江戸時代の米沢藩の領主です。
先程の西郷隆盛はじめ、明治時代の偉人たちに、多くの影響を与えた上杉鷹山の治世は、現在でも活きる教訓が数多くあります。
上杉鷹山は、多くの教えを細井平州という儒学者に学びました。
日本一貧しい藩を、日本一豊かな藩に改革するために生涯を費やしました。
- 身分に関係なく、人物本位で人を判断
- 自ら率先垂範して改革を実行
- 生涯に渡る質素な生活、利他の精神
- 米沢藩を再興させるというブレない信念
人を大切にしつつも、負債だらけの貧乏藩の経済を立て直したという功績は特筆すべきでしょう。
渋沢栄一の言葉を借りれば、「道徳と経済を両立」させた、第一人者と言えます。
後の米ケネディ大統領が、上杉鷹山を尊敬する人物として挙げ、自らの政策の参考としていたことが知られています。
上杉鷹山については、詳しく書いた記事がありますので、こちらも参考にしてみてください。
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二宮尊徳(1787-1856)
こちらも、上杉鷹山から影響を受けた人の一人、二宮金次郎像としても知られる、二宮尊徳です。
苦しい環境の中で、勉強と仕事に励む姿が有名かと思います。
農政家として、様々な村の復興を支援し、立て直した功績が知られています。
そんな二宮尊徳の思想が、「報徳」です。
努力を惜しまぬ正直な人間に対して、自然は必ず報いてくれることを自らの経験から学んだ尊徳。
徳行を実践することを旨としました。
そこで大事になる概念が、分度、勤労、推譲です。
節度をわきまえ、質素倹約に励み(分度)、
誠実に真面目に働くことで(勤労)、
余剰を他に与えることができる(推譲)という考え方です。
一つの貧しい村を、全力で支援する。
そこで、尊徳の教えに感銘を受けた人たちが、その教えとともに、周りの復興を支援するようになる。
このようにして、尊徳の教えは全国に広がっていきました。
中江藤樹(1608-1648)
陽明学者として知られる中江藤樹は、近江聖人と称されています。
四書五経、特に『大学』に影響を受けたようです。
私塾を開き、多くの人々に教育を施しました。
陽明学も儒学の系統ですが、より実践的な教訓が多いという特徴があります。
孝行、無欲、正直、誠実など、人間のあり方を説きました。
学問的な知識よりも、行動としてどう徳を実践していくかに重きを置くことで、多くの実践者が現れました。
また、平等思想から、士農工商に関係なく、分け隔てなく教育を施したところが近江聖人と言われる所以です。
日蓮(1222-1282)
日蓮宗の開祖である日蓮上人。
混乱が続いた鎌倉時代にあり、迫害や誹謗中傷など、様々な困難の中で、布教活動に尽力した宗教家です。
強い信念のもと、法華経への信仰に、その生涯を捧げました。
今の世の中で考える代表的日本人
少し趣向は違いますが、今の世の中でも、「世界に誇るべき日本人」といった類の調査をたびたび目にします。
知名度からして、俳優、アーティスト、スポーツ選手が当然上位にランクインします。
常人には不可能と思われるような努力と才能は、人々を魅了します。
一方、地に足をつけて考えると、現実的に、私たちが目指すべき理想像はどこにあるのでしょうか。
誰もが、イチローさんのようにはなれるわけではありません。
むしろ、唯一性が際立っているからこそ、世界に誇るべき日本人なのです。
そう考えると、能力的なものではなく、私たちの根幹を作る考え方が、大切になってくるように思います。
内村鑑三が『代表的日本人』を書いてから130年ほどです。
130年間で、何が変わったかと言えば、何もかも大きく変わったように見えますが、それは社会システムと科学技術の話です。
人の本質が変わるような時間軸ではありません。
ところが、今回題材にした5人の日本人は、どこか架空の人物のような見られ方が多いように思います。
今でも学ばれ、称賛される一方、あまりにもかけ離れていて、「人間的なもの」を感じられないのかもしれません。
イチローさんと自身とでは、身体能力が違うことは明らかですが、同じ(実存する)人間だと誰もが認識できるはずです。
一方、上杉鷹山のように、無私無欲で、生涯倹約をし、民を愛してということになると、現実とは思えないという感覚。
それほど、現代の私たちの精神性は、「徳」という感覚から遠ざかっているのかもしれないと思うときがあります。
今、130年の時を経て、代表的日本人を考えるとしたら、どのような人を挙げるべきでしょうか。
繰り返しますが、130年ほどで、人間の本質が変わることはないでしょう。
内村鑑三の著書が、日本人論として、今でも学ばれていることから考えても、共感を得られていることは確かです。
ビジネスが上手な人、富を築いた人がもてはやされることもありますが、それは普遍的な価値でしょうか。
前出の中江藤樹の残した言葉に、以下のようなものがあります。
藤樹自身、「真の聖賢は、自己宣伝をしないから決して世に現れない。したがって世の中に名前の知れた者など聖人の数に加える必要はない」と語っている。
( 童門冬二著 『内村鑑三の代表的日本人』より引用)
著名人や実績が知れ渡った人に正解を求めずとも、意外と身近なところに、徳を持った代表的日本人候補はいるのかもしれません。
現在も、時代の過渡期にあります。
世界に誇ることができる日本人論を考えることは、自身の軸を強くする意味でも必要ではないでしょうか。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
参考書籍
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