こんにちは!Jimmyです。
突然ですが、頭の切れる人になりたいと思っていませんか?
即答で「はい」と答える人もいれば、「頭が切れない人よりも切れる方がいいでしょ」と言う人もいると思います。
では、周りにいる頭の切れる人とはどのようなイメージでしょうか。
今回は敢えて、頭の切れる人など目指さなくてよい理由と、目指すなら間違いなく人格者である理由を解説します。
営業員時代を振り返って、
人格者には引き込まれる。
頭のキレる人には身構える。
中小企業の経営者の人は、頑固そうで
怖そうなおじさんが多かったけれど、引き込まれる人も
圧倒的に多かった。人がついて行くのもわかる気がした。— Jimmy@信念のある自分の人生を! (@JimmyOsuka) April 17, 2020
頭が切れる人になりたい?その理由は?
冒頭に示したツイートの通りですが、
頭の切れる人に対しては、人は身構えるものです。
頭が切れる人になりたいと思った時、その先を考えてみてください。
もし、そうなった時、どういう自分を想像しますか?
周りにいる頭の切れる人と重ね合わせて考えることでしょう。
- 複雑でわかりにくい話でも上手にまとめることができる人
- 物事の本質を鋭く指摘することができる人
- 状況に応じた巧みな対応ができる人
仕事ができるイメージそのものではないでしょうか。
つまり、仕事ができる人間になりたい、そう見られたいから頭の切れる人になりたいと思うわけです。
自分もそうなりたいと思う気持ちはよくわかります。
一方で、自分の上司が頭の切れる人であったとしたらどうでしょうか。
指示が的確で理解も速いため、無駄な作業も減って効率的な仕事ができるといった良い面もあるでしょう。
一方、気持ち的には非常に重たくならないでしょうか。
報告する時、相談する時、いつも身構えてしまうのではないでしょうか。
あやふやなことを言えば、すぐに見抜かれて鋭く指摘されてしまうでしょう。
主従関係が明確になりやすく、窮屈に感じることもあるかもしれません。
うまく丸め込まれるということも、よくあることです。
取引先の担当者が頭の切れる人であれば、より身構えるでしょう。
うっかりすれば、こちらに不利な条件で取引が進んでしまうようなことや、後で揚げ足を取られるようなことも、必要以上に注意しなければなりません。
人格者は頭の切れを感じさせない
「頭の切れる人の中にも、周りを上手にモチベートし、チームとして良い方向に向かわせる人だっているではないか!」
「取引先という関係であっても、お互いWin-Winの関係を築こうとしてくれる人もいるではないか!」
そう思う人もいるでしょう。
つまり、頭の切れる、且つ周りにもいい影響を与えることができる人格者でもある、という人です。
確かにその通りです。
頭の切れる人格者も、もちろんいます、両方兼ね備えていれば鬼に金棒です。
しかし、実際問題、そのような人はどれほどいるでしょうか。
そもそも「人格者」も「頭が切れる人」もそれぞれごく少数派だから注目されているわけです。
両方兼ね備えた人など、実はそうそういるものではありません。
しかも、人格者であり頭も切れる人は、少し話しただけではわかりません。
人格者は、わざわざ頭が切れるような振る舞いや、アピールをしないからです。
むしろ、相手が接しやすいような、意見を出しやすいような雰囲気を作ることを考えています。
頭が切れるような振る舞いをして、相手が萎縮したり、受け身になったりすることの方がデメリットは大きいものです。
当たり前ですが、自分一人でできることなどはたかが知れています。
さらに、複雑化する現代の世の中においては、周りの人の能力をいかに発揮させられるかの方がより重要になります。
つまり、自分一人頭が切れて、周りからそう認識されても、結果としては、「それ以上何かありますか?」という話になってしまうわけです。
もちろん、個人としての能力が認められれば、評価もそれなりにされ、気分はよいでしょう。
しかし、多くの場合、自他共に頭が切れると認めている人ほど、チームや関わる人が、やりにくさを感じています。
頭が切れる人とややこしい人はほぼ同義
若干極端ではありますが、私の経験上、頭が切れる人とややこしい人(面倒な人)はほぼ同義です。
下図のようなイメージです。
相手が同僚でも、上司でも、取引先でも同じです。
もちろん、ややこしい人は、関わると全てがマイナスという単純なものではありませんが、前向きな気持ちを保つ上では、マイナス効果が大きいように思います。
頭がよい、本質を突く、状況に合わせた対応ができるといった頭が切れる人の特徴は、相手にとって(それが同僚であれ取引先であれ)大きなプラスになる可能性もある反面、面倒な人にもなる可能性も同時に秘めているのです。
同僚や上司であれば、うまく丸め込んで貧乏くじを引かせる狡猾さや、反対意見に耳を傾けない頑固さも持ち合わせていることも少なくありません。
取引先という関係であれば、なおさら厄介な相手であることは容易に想像できると思います。
場合によっては、ただ単にややこしいだけの人よりも、余計に対応が難しいということもあります。
そういう意味では、他者から見たとき、「頭が切れること」と「ややこしいこと」はほぼ同義です。
そのような人に対して、積極的に人間関係を築きたいと思えるでしょうか。
自分の昇進や立場をよくするために、耐え忍んで関係を築くということはあるかもしれませんが、本意ではないはずです。
ややこしい人と仕事をしても、力を存分に発揮することは難しいのです。
ついていくなら、応援するならどういう人?
人格者には、懐に飛び込んでみようと思わせる何かがあります。
特段頭が切れるような人でなくても、人格者は、人を引きつけるものです。
ここが肝要であって、私自身何度も引きつけられる経験をし、そして懐に飛び込んでみようと思えたことがありました。
実際に、頭の切れる人、そして人格者と相対してきて、体感した感覚が冒頭のツイートなのです。
すなわち、「頭の切れる人には身構える、人格者には引き込まれる」ということです。
会社の上司であれ、取引先の社長であれ、その人の人格に引き込まれる感覚でした。
そのような感覚になったときと、そうでないときの自分の発揮した力の差が歴然としていることに気づきます。
社内の人であれば、この人が言うならとことんやってみようと思えるものです。
取引先の社長であれば、目先の損得勘定なしに応援したいという思いが湧き上がるものです。
不思議な感覚ですが、私は会社員時代、ある取引先の中小企業の社長に対して、このように引き込まれる感覚を経験し、そこで実際に力(やる気)を発揮しているのです。
百戦錬磨の経営者ですが、失礼ながら頭が切れるようなタイプではありませんでした。
方言もあり、何を言っているのか時々わからないこともありながら、それでもその人の人格に圧倒されたのでした。
仕事の関係ではなくても、同じような感覚を経験したことがある人は少なくないのではないでしょうか。
得てしてそのような関係は長く続くものであり、思い出すと清々しい気持ちになります。
なお、仕事上の「結果」もついてくることが多かったことも付け加えておきます。
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目指すべきは人格者
もう一度質問します。頭が切れる人に憧れますか?
本当にそうなりたいでしょうか?
目指すべきは、頭が切れる人ではなく、人格者としての自分を確立することです。
もうお分かりだと思いますが、単に頭が切れる人との関係は、利害関係の上に成り立っています。
頭が切れる人から何か話があれば、相手はまず身構えます。
話に乗るときもあれば、なるべく関わらないようにした方がよいのではないかと考えることもあるでしょう。
対応自体、相手も自然と打算的になるということです。
一方、人格者であり、いったん懐に飛び込んでしまった人に対しては、利害関係、損得勘定を超えた言動を取ることができるようになります。
意欲も違うため、発揮できる力も変わってきます。
無理難題であっても、相手は心から納得して、
「あなたがそこまで言うのであれば、とことんやってみましょう」となることもあるわけです。
身構えている相手に対しては絶対にこのような態度を取ることはありません。
そうであれば、自分自身が目指すべき方向は、人格者としての自分を磨くことであるはずです。
目先の損得では、損をすることもあるかもしれませんが、長期的に見ればプラスになることが必ずあります。
自分が上に立つような立場になった時、いかにチームとして実力を発揮するか、
重要なのは、自分の頭が切れることよりも、人格者として周りを引っ張ることです。
取引先と本当に良好な関係を築くという意味においても、人格をさらけ出し、お互い認め合うようになった方が、より長期的に良好な取引ができる可能性が高いでしょう。
✔️頭が切れる人になっても、利害関係、損得勘定を超える関係を他者と築くことはできない。
✔️人格者であってこそ、利害を超えた協力体制や支援を得ることができる。
まとめ
今の時代、いくら能力のある人でも、組織が複雑であればあるほど一人で全てをこなすことは不可能です。
つまり、周りの人をいかにモチベートし、力を発揮してもらうかが重要になります。
頭の切れる人には身構える、人格者には引き込まれる、これは私の実際の体験からつくづく思うことなのですが、人間にとって至極当然の反応であると思います。
頭の切れる人というのは、頭も良く、本質を突き、上手に立ち回ることができる一方で、相手からすると、自分が不利な状況へ追い込まれるのではないか、丸め込まれるのではないかと警戒心を喚起する傾向があるとも言えます。
頭の切れる人である反面、ややこしい人であることも珍しくありません。
そのような人との関係は、利害関係や損得勘定によるものがほとんどであると思われます。
一方で、人格者には、引き込まれる、懐に飛び込ませてくれる何かがあります。
同じ組織の関係であれ、取引の関係であれ、懐に飛び込んでしまえば、損得勘定を超えたパフォーマンスを発揮することも可能になります。
人がついてくる人、能力を発揮させて引っ張ることができる人というのは、紛れもなく人格者であり、これからの時代にますます必要な要素になってくると思います。
目指すなら人格者としての自分を確立することです。
私自身、会社員時代に圧倒された経営者の人たちを思い出しながら、日々精進しなければと思っています。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
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