こんにちは!Jimmyです。
つまらない人間にならないためには、強烈な自己をもって人生を生きることが大切です。
私自身、自分がつまらない人間のように思えると、人生自体が行き詰まることを実感しています。
大変な時代に生きているのに、これでよいのか?
そう思うことがよくありました。
なお、「つまらない人間がどういうものか」については、完全に主観としか言いようがありません。
これが正解だと言いたいわけでも、強制したいわけでもありません。
共感する人もいれば、反感を覚える人、響かない人もいて当然です。
つまらない人間で何が悪いのですか?と聞かれれば、「悪くありません」が答えです。
そういうわけで、完全に主観の色が濃いことを先にお伝えします。
ただ私自身の体験に基づく、強烈な主張です。
少しでも参考になる人がいれば幸いです。
つまらない人間とはどんな人?
つまらない人間の代表格
主観とはいえ、定義するのはなかなか難しいものがあります。
敢えて私の経験から一言で言い表すとしたら、
冒頭にも示した、強烈な自己を持っていない人となります。
ここで言うつまらない人とは、善悪とは関係ありません。
友人同士、同僚の間で面白い話ができるとか、盛り上げることが上手というのもあまり関係ありません。
さらに、仕事ができるできないという問題でもありません。
ただ、強烈な自己を持っていないのであれば、信念をもとに大きく変化を起こしていくこと、難しい時代の局面を打開していくことができるとは思えません。
自分の確固たる軸がなければ、いつも何かにしがみつくしかないからです。
つまり、真に幸福感のある人生を送れるようには思えないのです。
そのような人は、話をしていても、生き方、働き方を見ていても、つまらないと感じてしまうものです。
つまらない人間の定義として、以下私が見てきた世界の特徴をそのまま記します。
つまらない人間とは
処世術を心得、上手に世渡りし、
付き合いもこなし、忖度もできる。
方針を汲み、上司が白いと言えばどんなものでも白だと言える。
前例を重んじ、何事も大過なく執り行うことを旨とする。
組織の中(温室)にとどまり、視野を狭く持つ。
お互いを慰め合いながら一体感を保ち、
組織と自己を同一化する。
ある程度の社会的地位と自己肯定感を持って、
相対的な満足に帰す。
つまらない人間の特徴と人生にもたらす影響
主観的に定義してしまいましたが、それに従うとします。
つまらない人間に甘んじていると、人生にも大きな影響を及ぼします。
すなわち、幸福感のある自分の人生を歩むことができないことを意味します。
以下に、その特徴と影響を示します。
私自身、まさにそのような状況に陥り、実感したことです。
何れも、互いに関係するところが多くありますが、一つずつの要素としても見ることで気づくこともあるでしょう。
自分の信念の上で動けない
私が銀行員として働いていた約12年の間、日々実感してきたことです。
新人の頃ならまだしも、組織や業務がわかってきた段階においても、自分の信念を持てず、言われるがままに自らを処している人が目立ちました。
流される人に信念なし
集団圧力、集団の空気と言ってよいと思いますが、各々が自分の意見を持たないように仕向けられていました。
大きな会社組織なら、少なからずそのような側面はあると思います。
そうすることで、危険分子、反乱分子をなくし、統制をスムーズにするという狙いがあります。
ただ、そうなると、自分の考えがない、流されるだけの人が大量発生することになります。
周りの空気や上司の意向に従うことで自分を守ろうとし、
組織の中にしか関心が持てず、視野が狭くなる。
決められた枠の中で考える、動くことしかできないのですからそうなるしかありません。
つまらない人間の正当化プロセス
すると、結局どうなってしまうのか。
組織の方針に身を寄せ、そこに自己の考え方を無理やり重ね合わせて、不安を隠そうとします。
そして、たどり着く先もわからず、お金を求めてさまよい、自分を守ろうとするようになります。
結果、社内政治や、忖度、こびへつらうことしかできなくなってしまうのです。
そこには信念も輝きもありません。
ただ、組織の中ではある程度の地位を確保し、社会的地位も相応と認識されています。
そこが、大きな救いどころとなります。
だからこそ、なんとか自分を正当化できるのです。
経験してわかった落とし穴
実際に私も、自分が何をしたいのかもわからず、ただ追われるがままに大企業の中で業務をこなした時期がありました。
面倒なことになりたくないがために、上司の意向や組織の正解を忖度しました。
流される日々という表現がぴったりですが、まさにつまらない人間そのものでした。
一方で、日常様々な場面で、職業や勤め先、年収を記入する機会があるときは、安心感とわずかながらの優越感は感じていたことも事実です。
これが絶妙な慰め、もしくはブラインドになっていたのだと思います。
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判断する手段としての「教養」がない
日本ではおなじみの新卒一括採用。
学生時代にどのようなスキルを身につけ、どのような思想を持っているかはあまり関係ないとされています。
入社後に一から教育することが、大きな組織ほど多いのが現状です。
そのほうが都合がよいからです。
根性がありそうで、会社の雰囲気に合いそうな人を採用し、会社色に染め上げます。
私もまさに、その流れの中で就職し、教育を受けた人間です。
教養を学ぶことなく就職
これは学生側(私)にも問題があります。
私の場合、大学生の頃は、この世の春とばかりに、遊びほうけて暮らしていました。
周りにあわせて就活を始めたのですが、自分の確固たる思いや希望、そして専門スキルなどはなかったのです。
スキルや強い思想などは、企業側も期待していませんでした。
だから、自己PRなどでは、学生時代のアルバイトやサークル活動のことを話せばよかったのです。
そのような学生が会社に入り、集団教育を施され、配属されます。
言い方は悪いですが、判断軸としての教養がないため、簡単に歯車の一部として組み込まれ、疑問も持たずに働くことになります。
教養を学ばないまま時が経つ
今の時代、経済的に楽な会社はほとんどありません。
大抵忙しく働くことになるでしょう。
そうなると、会社に関係すること以外のことを学ぶ時間や意欲がなくなっていくのです。
資格を目指す人はいますが、それも会社の業務や分野に関係することが多いでしょう。
つまり、自分の生き方、軸を作るために必要な、「教養」がないままなのです。
教養は、自分の人生を生きていくために必須です。
哲学、思想、美術、音楽、科学、多岐に渡りますが、物知り博士になる必要があると言っているわけではありません。
知識の豊富さではなく、いかに考え、いかに自分の人生の軸を作れるかです。
自分を認識し、軸を固めるためには、会社に関係する業務では何の役にも立ちません。
会社組織における身の処し方、業界の知識、業務のスキルは当然上がります。
役職もつき、部下も従え、お作法をわきまえ、社会の荒波を渡り歩くことができるのかもしれません。
自己喪失の危険性
しかし、それと同等以上に大切な、自分の生き方を作るための「教養」が抜け落ちているのです。
敢えて時間を確保して、意図的に考え、身につけないと、いつまで経っても自分の軸がない、
会社や業界に精通しているだけのつまらない人間から抜け出せないのです。
私の場合と同じような流れで就職し、ずっと同じ企業にいるという人は少なくないと思います。
教養がない、つまり自分の生き方を認識することができないまま、会社に隷属し、自己喪失していく人を私は何人も見てきました。
かっこよく生きるための正義がない
正義の味方、ヒーローに憧れていた少年少女時代を誰もが経験していると思います。
ヒーローはかっこいいからヒーローなのであって、正義を持っているからヒーローなのです。
実在する人物であっても、ヒーロー的な位置付けで、時代を超えて尊敬され愛される人がいます。
武将であれ、実業家であれ、スポーツ選手であれ、共通して言えることは、それぞれの正義をしっかり持っていたということです。
正義があるからかっこいい
正義とは何かを考えるとまた難しいのですが、私は正義とは、個人個人の持つ思想そのものだと思っています。
それがなければ、あるいは脆弱であれば、危ない場面、厳しい場面で簡単に心が揺らいでしまうでしょう。
逆境にあっても、自分の正義を貫ける人こそ、かっこいいヒーローなのですが、
そのような人は、つまらない人間では絶対になれない対照的な位置付けにあります。
正義、すなわち自分の思想がないと、
ピンチになると、自分が不利にならないことだけを考え、つまり損得勘定だけで考え、
正しいか正しくないかという軸で判断をすることができません。
だから、かっこ悪いのです。
自己正当化や言い訳は一級品であっても、つまらない人間であることに変わりありません。
ヒーローは少ない
誰もが憧れたことのある正義のヒーロー。
しかし、そのような正義、人生を貫く思想を持っている人は多くはないのではないかと思います。
銀行員として働いた12年間、私自身そういった正義を発揮するための強い思想は持ち合わせていませんでした。
ですから、責任の押し付け合いや、足の引っ張り合いに巻き込まれて疲弊していたのです。
私に限らず、少なくとも正義を感じる人はほぼ皆無であったというのが正直な感想です。
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時代を超えて尊敬される明治維新期の人物と、同時代に活躍した政商の生き方をもとに、かっこいい生き方とは何かを考察した記事です。
つまらない人間にならないためにできること
つまらない人間にならないためにできること、
それは、先ほど示してきたような状況に陥らないことに尽きます。
つまらない人間になりたい人などいませんが、
実際に頭もよく、常識のある人たちが、つまらない人間になってしまっているのです。
この事実を見ると、単に会社組織の中で努力していればよいというものではないことがわかります。
先ほど示した、つまらない人間の特徴をもう一度まとめて見てみます。
- 自分の信念がない
- 判断するための教養がない
- 正義(自分自身の思想)がない
つまり、冒頭から言っているように、自己を強烈に持って生きるということが絶対不可欠です。
3つの事例で示しましたが、言いたいことはこれに尽きます。
様々な経験をするだけではなく、
思想を身につけてこそ、自分の信念が確固たるものになり、自分なりの正義というものも確立されます。
終わりのない自己認識と思想
小さい時から、親や先生から教えられる最低限の道徳はあるかもしれません。
しかし、これだけでは、今の複雑な、誘惑の多い時代では、頼りないと言わざるを得ません。
自分の中に既にあっても、社会で揉まれている中で表面に出にくくなるということもあります。
だからこそ、しっかり時間を取って、考え学ぶ必要があります。
完璧な人間などいません。
正解もなければ終わりもありません。
しかし、自分の思想を強く持てるかということが、普段からの言動、そして逆境や困難な場面での対応力に大きく影響します。
その姿を他人が見て、どう思うかは人それぞれです。
それでも、強烈な自己を持って表現している人は、少なくとも生き生きと見えるのではないでしょうか。
思想や教養について、以下の記事を書いていますので、こちらも参考にしてみてください。
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歴史・哲学・思想を学ぶ
強烈な自己を持って、自分らしく生きている人を見れば、つまらない人間であるはずはありません。
強烈な自己を持ちながら生きるためには、強烈な背景が必要です。
信念、教養、正義と様々な言葉を出しましたが、それらを身につけるためには、
実社会での本業以外に、歴史、哲学、思想を学ぶことが大変有効です。
もちろん、他にも多様なやり方はあると思います。
私の場合、特にこれらの影響が大きかったため、ピックアップして示しています。
つまり、生き方、物事の考え方、生きる目的などについて、既に経験してきた人、考え尽くした人から学ぼうということです。
これらを学んでいると、自分を認識するのにも役に立ちます。
結局、生きる目的や幸福感などの議論については、過去何千年と続けられてきた分野です。
それだけ大切でありながら、正解のない難しい問でもあるわけです。
そして、多くの思想家にせよ、成功者にせよ、確実に共通していると言えることがあります。
強烈な自己を持っている人たちですら、過去から学び、自己を確立させてきたということです。
一から自分の思想を考え抜き、価値観を作り上げた人は、おそらく過去の天才を辿ってみても誰一人としていません。
普通の人であるなら尚更、過去の人たちが繰り返し考えてきた考え方から学ばずして、自己確立などあり得ないと言えます。
今話題となっている海外の自己啓発本、成功者の哲学を書いた書籍は多く存在します。
そういった書籍を読んでみても、必ず、歴史、過去の成功者、哲学者、思想家の考え方に通ずるものがあります。
実用的な学びにならない、資格と関係ない、古い考えだと言って敬遠するべきではありません。
まずは自分の気になった著者、成功者、よく読まれている本などから読んでみることをお勧めします。
今の時代、「キーワード+本、著書」と入れるだけで、いくらでも関連するものは見つかるでしょう。
つまらない人間にならないためには、遠いようで一番の近道になるはずです。
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参考になる書籍を以下の記事で紹介しています。
まとめ
私自身、考えてみると、自分の人生や生きる意味などについて、考える機会がほとんどないまま、受験をし、就職をし、社会人生活を送っていました。
もちろん、そこで経験したこと、失敗したこと、学んだことは人生に役立つことばかりです。
一方で、組織の考え方、価値観を押し付けられ、ある意味思考停止に追い込まれる思いをしたことも事実です。
私に限らず、組織内で必要なスキルや経験は積むものの、自己を持てない人は少なくありませんでした。
組織論、あるべき論は主張できても、個人としての生き方や信念、正義については聞いたことのない人が大変多くいました。
そのような人たちと働いていて、強烈な魅力を感じたことはほとんどありませんでした。
私の場合、運よく(この場合よいのか悪いのかわかりませんが)、銀行という組織にいたことで、強烈な疑問を覚え、自己を持つ大切さに気づいた経緯があります。
強烈に自己を持ち、自分の信念を貫いて生きているような人で、つまらない人間などみたことはありません。
過去の歴史や、考え方などを参考にしながら、是非自己確立を優先してみてはいかがでしょうか。
以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
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